TOYODA G型自動織機の考察
豊田佐吉の1910年の渡米とG型自動織機の開発
(1924年完成、1925年特許取得)の時期の開きから、コーンミルズ社の設計を「起こした」のではないか、しかし、史実に基づくと、その可能性は低いと言えます。
今回の調査で得られた情報から、以下の点が明確になっています。
* 渡米の目的と得たもの:
* 1910年の渡米は、佐吉にとって世界の最新織機技術を視察し、自身の織機の優秀さを確認するためでした。彼はアメリカ各地の工場を見て回りましたが、そこで使われている織機については「欠点も目につき、それほどの感銘を受けなかった」とされています。むしろ、この視察を通じて、彼自身が開発してきた織機の優秀さに自信を深めたという記録が残っています。
* この時の視察は、技術を「盗む」というよりは、自身の技術がいかに世界に通用するか、あるいは更なる改良のヒントを得るためのものでした。
* コーンミルズ社を直接視察した正式記録の欠如:
* 豊田佐吉がコーンミルズ社を具体的に視察したという直接的な公式記録は、現時点では確認されていません。彼はアメリカ各地の機業地や織機業者を幅広く見学しましたが、個別の企業名まで詳細に記されている資料は見当たりません。
* G型自動織機の独自性と画期性:
* G型自動織機は、佐吉が生涯をかけて目指した「無停止杼換式自動織機」(むていしひがえしきじどうしょっき)であり、世界で初めてこれを実現したことに最大の独自性があります。これは、高速運転中に機械を止めることなく杼(シャトル)を自動で交換し、緯糸(よこいと)を自動的に補給するという、当時としては革命的な技術でした。
* 既存の織機は、糸が切れたり緯糸がなくなると運転を停止する必要がありましたが、G型はこれを解消し、生産効率を飛躍的に向上させました。この「無停止杼換機構」は、佐吉自身の長年の研究(1903年には最初の自動杼換装置を発明)と、約80回にも及ぶ発明・改良の繰り返しによって生まれたものです。
* G型自動織機は、その完成度の高さから「魔法の機械」と称賛され、1929年にはイギリスのプラット・ブラザーズ社に特許使用権が巨額で譲渡されました。もし他社の設計の模倣であれば、このような世界的な評価や特許譲渡はありえません。
以上の史実から、豊田佐吉が1910年の渡米でコーンミルズ社のシャトル機を直接模倣してG型自動織機を開発したという説を裏付ける根拠は見当たりません。むしろ、彼のG型自動織機は、海外の技術も参考にしつつ、彼自身の卓越した着想と粘り強い開発努力が結実した、世界に誇るべきオリジナルな発明であるという認識が、歴史的に確立されています。
このような点から、TOYODA製 G型織機で織ったデニムがいかに世界に誇れるかを知って頂きたいです。
リーバイス社が長年にわたり主要なデニム生地のサプライヤーとしていたのは、主にアメリカのコーンミルズ社 (Cone Mills) です。特に彼らの「ホワイトオーク工場 (White Oak Plant)」は、リーバイスの象徴的なデニム生地を数多く生み出してきました。
リーバイス社への主要な生地サプライヤー
*ホワイトオーク工場がデニム生地を納入していたのは 1915年から2003年まで。
* コーンミルズ社 (Cone Mills): 特にノースカロライナ州グリーンズボロにあったホワイトオーク工場は、リーバイスとの間で「ゴールデンハンドシェイク」と呼ばれる半永久的なデニム生地供給の約束を交わしていたとされています。彼らは、リーバイスのヴィンテージデニム、特に501XXなどに使用されるセルビッジデニムの主要な供給元でした。
* 1925年頃から1960年頃まで:
* この時期も、主要なサプライヤーはやはりコーンミルズ社が中心だったと考えられます。当時のアメリカのデニム産業において、コーンミルズ社は非常に大きなシェアを占めており、リーバイスのような大手ブランドにとって不可欠な存在でした。
デニムを織っていたシャトル機の会社名と詳しい資料
コーンミルズ社のホワイトオーク工場で稼働していたシャトル織機として、特に有名なのはドレイパー社 (Draper Corporation) 製の織機です。
* ドレイパーX3シャトル織機 (Draper X3 Shuttle Loom):
* 1940年代には、コーンミルズのホワイトオーク工場で「名機」と称されるドレイパーX3シャトル織機が稼働を開始しました。これらの旧式力織機(シャトル織機)は、現代の高速な織機とは異なり、ゆっくりと丁寧に生地を織り上げることで、独特のムラ感や風合い、そして生地の両端に現れる「セルビッジ(耳)」と呼ばれる特徴的な部分を生み出しました。
* ドレイパー社は、19世紀後半から20世紀にかけてアメリカの繊維機械産業を牽引した主要なメーカーの一つであり、その織機は世界中で使用されていました。